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「ひと足先に選ぶ次世代のMVE」ゼロベース株式会社|石橋秀仁

エンジニアリングの世界で、業界の常識をくつがえす若き挑戦者たちを紹介!

ゼロベース株式会社 石橋秀仁

経営とデザインの融合でWeb業界に新しい風を

インターネットの話題がビジネス界を席巻していた2000年。ビットバレーの熱気に胸を膨らませ、1人の高専学生が福岡から東京に向けて旅立った。青年の名は、石橋秀仁。現在、ゼロベース代表取締役社長を務める若手起業家である。高専中退後、Webサイト運営会社勤務、フリーランスエンジニアを経て、2004年にゼロベースを設立。ユーザー・インターフェースに定評のあるWebサービス開発・コンサルティング会社として事業を拡大中だ。「自分の強みは、経営と技術、デザイン、マーケティングなどが統合的に語れること。そしてディレクションやアドバイスができること。いろいろな才能を組み合わせるノウハウには自信がある」と石橋は言う。

今はベンチャー経営者として活躍する石橋だが、ここに至るまでの道は平坦ではなかった。石橋はなぜ、高専を出て大企業に就職する道を捨て、単身上京してWeb業界に飛び込んだのか。メカトロからWebの世界へ、そしてエンジニアから経営者へ―。その紆余曲折に満ちたキャリアストーリーを紹介しよう。

中学時代にパソコンと出会い、プログラミングや2次元グラフィックスに熱中。進学先には「コンピュータに一番近そうな」国立久留米高専を選んだ。制御情報工学科に在籍し、メカトロニクスを専攻。実務経験豊富な教授陣のもとで、エンジニアリングの基礎を学んだ。

技術者の高等養成機関である高専では不況もどこ吹く風で、卒業生は成績順に大企業に就職を決めていくのが常だった。このままベルトコンベヤー式に、大企業に就職してしまっていいのか―。迷った末、本科修了後、「モラトリアム的に」専攻科に進学する。

「他人にレールを敷かれるのがいやで、人生を自分でコントロールしていないと不安になる。2年の猶予期間の間に、自分の好きなことをやり、将来のことを考えようと思ったんです」

折しも、時代はインターネットビジネス元年といわれた激動の2000年を迎えようとしていた。ビル・ゲイツが時代の寵児となり、東京ではビットバレーに集結した若手起業家の台頭が毎日のように報じられていた。

「この面白い動きもいずれ落ち着いてしまう。もう待てない」―。そう考えた石橋は、思い切った行動に出る。1泊2日の旅程で福岡から上京し、ベンチャー企業の交流会に参加。会場では「プログラマ」と刷った名刺を配って歩いた。「怖いもの知らずでしたね。テンションを高めて自ら“憑霊”し、社交マシンになりきりました。就活というより『ヘッドハントされなければ』というぐらいの気持ちでしたね。就職に対してずっと感じていた違和感が、そこで爆発したのかもしれません」

ここで、あるコミュニティサイト運営会社の社長と出会ったことが、Webエンジニアへの道を拓いた。高専を中退して同社に入社し、アプリケーション開発から運用、システム企画までを幅広く経験。畑違いと思っていた高専での教育が意外に役立つことに気付いた。

「同じ失敗を繰り返さない、人間の脳みそを信じない。それが工学的な安全設計の基本。高専では『いかに人間の注意力や記憶力に頼らずにミスの再発を防ぐか』を叩き込まれていたので、トラブル防止用のマニュアル整備などにもやりがいを感じましたね」

「万一のミスに備える設計」は、ユーザーエクスペリエンスの質の向上にもつながる。ユーザー・インターフェースを強みとするゼロベース創業者の片鱗は、すでにこの時代に表れていたといっても過言ではない。

落ちているときは、流れに逆らわない

転機がやって来たのは3年後のことだ。エンジニアからビジネス全般に幅を広げたいと考えた石橋は、退職してフリーランスのエンジニアとして仕事を始めた。だが、石橋はすぐに現実の難しさを思い知ることとなる。独立直後こそ順調に仕事が入ってきたものの、一段落すると、3カ月ほどパタッと仕事が途切れた。

「預金残高が減っていくのを見るのは切ないものがありましたね。『やる気を出そう』と頑張った時期もありますが、ある時期から『落ちているときは落ちておこう』と逆らわなくなった。ひたすら本を読みながら勉強していましたね」
 

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